950㎞先の備前緑陽高校のみなさんが、はるばる福島に来てれました。
2015.09.09 カテゴリ:ブログ
2015年8月4日から6日の3日間、相馬市に岡山県立備前緑陽高校の先生と生徒さんたちがスタディツアーで訪れました。
この高校とのつながりができたのは今年の3月のこと。岡山と福島の学生がともに復興について考える「福島×岡山 復興【FUKU-O】学生サミット」に、我々スタッフと相双の高校生とで参加させていただいたのですが、そこで備前緑陽高校の飯田先生と知り合いになったのです。イベント会場の一角で、飯田先生が、「相馬に生徒を連れていきたい」とおっしゃっていたのですが、こんなにすぐに実現するとは思っておらず、先生や生徒さんの行動力に驚かされました。と同時に、はるばる来ていただけることをありがたく思いました。ちなみに、岡山-相馬間はなんと約950km!
今回相馬市に来ていただいたのは、飯田先生の先輩の山田雅之先生と、スタディツアーに積極的に応募した生徒さん5名。定員より応募が多かったそうで、参加理由などをもとに選考を行ったのだそうです。先生も生徒さんも、とても仲が良く、そしてとても元気いっぱいでした。山田先生いわく「中学生みたいでしょ(笑)」。
初日の8月4日、お昼過ぎに福島駅に到着されたみなさんを連れて、まずは市の観光交流拠点「千客万来館」へ。ここで、観光協会の藤本篤央さんと商工観光課の鈴木洋平係長のおふたりに相馬市について、そして震災の被害と対策についてご説明いただきました。
・千客万来館で鈴木係長の話を聞く生徒さんたち
説明が終わると鈴木係長が、生徒さんたちが事前に用意していた質問にお答えいただきました。この質問の内容が、よく下調べをしていることが分かるものばかりで、鈴木係長も驚いていました。
千客万来館を後にし、次は尾浜原釜海水浴場へ。この海水浴場は、震災当時に比べるともちろん整備されてはいますが、未だ遊泳は禁止です。また、海水浴場のタイルが津波によってはがされていたり、電柱がひしゃげていたりと、爪痕が残っており、みなさん津波の脅威を感じ取っていました。
福島県相馬市の尾浜原釜海水浴場の様子 https://www.soma-brand.jp/ #theta360 – Spherical Image – RICOH THETA
福島県相馬市の尾浜原釜海水浴場の様子です。こちらも昨年撮影したものです。尾浜原釜海水浴場は現在遊泳禁止となっています。 #theta360 – Spherical Image – RICOH THETA
・尾浜原釜海水浴場の様子(撮影は2014年に行いました)
そして、海水浴場の端に建つ伝承鎮魂記念館で津波の様子などが収録された映像を見て、尾浜地区の慰霊碑で手を合わせ、ホテルへと向かいました。
宿泊はホテルみなとやさん。ホテルを切り盛りする管野貴拓さんは、相馬市松川浦観光振興グループの事務局長も務めています。管野さんにはお食事の前にお時間をとっていただき、震災当時の様子などを話していただきました。
短いセッションを終え、夕食です。相馬の食材を使った料理がたくさん! 翌日、山田先生にお話を聞いたところ「夕食も朝食もとてもたくさん出していただいて、どれも美味しかったです」とおっしゃっていました。
・みなとやさんでの食事の様子
食に関して嬉しかったことは、山田先生も生徒さんも、みなさん相馬・福島の食材を口にすることに対して「全然抵抗がない」と話されていたことです。未だ風評被害は払しょくしきれていない状況下で、このように言っていただけたことはとても嬉しいです。それも、美味しいと言っていただけて。
福島、相馬の食に関する情報は、過去の記事にもまとめておりますので、ぜひご一読くださいませ。
ブログ記事:https://www.soma-brand.jp/blog/
さて、翌日5日はボランティアからスタートです。場所は大野台第6応急仮設住宅。ここは飯舘村の方々が住んでいる仮設住宅です。飯舘村は原発事故の影響で全村避難が強いられている村。まず、仮設住宅の自治会長である庄司さんと管理人の北原康子さんらにご挨拶をしてから、飯舘村や仮設住宅の状況についてお話を聞きました。
飯舘村は農家の方が多い村で、そのぶん家屋も大きい。それが、震災によりいきなり狭い仮設住宅に移動せざるを得なくなってしまった。震災から4年も経つとだいぶ慣れたとは言いますが、当初は窮屈であったり、土いじりができなくなったりと、辛い想いをされたそうです。現在も帰還が無事できるのかどうか、帰られたとしても以前と同じような生活ができるのかどうかなど、様々な悩みを抱えていることを知りました。
・仮設住宅の方々の手形と一緒に記念撮影
仮設住宅の方々のお話を聞いた後は、先生と生徒さんに集会所の裏の草むしりを行っていただきました。今回、山田先生とツアー行程を考えていた時に、「何かボランティアをしたいんです」と言っていただいたため、ボランティア作業を行程に入れさせていただいたのです。草むしりをするには天気が良すぎて……とても暑かったのですが、みなさん一生懸命に作業を行ってくださいました。短い時間ではありましたが、集会所裏の一角がとてもきれいに! ビフォーアフターの写真を撮っておくべきでした……。
身体を動かしお腹をすいたところで、塚田にある食事処「報徳庵」へ。ここで、相馬港で水揚げされたタラのフライの定食をいただきました。タライはボリューム満点。臭みがなく、淡白な味わいです。
あ、相馬本家でもお取扱いしていますので、ぜひ! 人気商品です。
お腹を満たした後は街歩きです。ギフトショップ「紀の国屋」を営み、相馬の文化の保存と活用を考える協議会の一員でもある獺庭大輔さんに中村城址をご案内していただきました。中村城はお堀が多く、また、通路がカギ状になっていて、外から攻められにくい造りになっています。お城の構造や歴史、そして文化など、ふらっと各々で見学するだけでは分からないことを、丁寧に教えていただきながら見学することができました。
・獺庭さんのご案内で相馬城址を見て回りました
また、敷地内で馬を飼育しているのですが、学生たちは馬を見つけるとおおはしゃぎ(笑)。普段見られない動物を見ることができたのか、楽しそうでした。
ちなみに今回、男性陣はわらじを履いて歩きました! 野馬追の際に、足軽の方々もこのわらじを履くのだそうです。
・男性陣の足元には軍足とわらじが
街歩きの後は、船橋屋製菓と松林堂に立ち寄りお土産を購入して沿岸部へ。船着き場では漁師の菊地基文さんと高橋一泰さんが待っていてくださいました。この日の締めくくりは漁師による沿岸部視察です。高橋さんの小型船(通称チャッカ船)に乗り、菊地さんの案内で相馬の沿岸部や沖を見て回りました。
・地図で現在地を確認
・漁師の菊地さんの話を聞きながら沿岸部を見て回りました。揺れる船上をスイスイ歩く菊地さんは、さすが海の男
・石炭を採掘する船や、海底をならす船などが運航中でした
・この崖の上の方まで津波がぶつかってきたそうです
津波の時に波がどの高さまで到達したのか、海底のガレキ除去や地ならしをしていること、防波堤を修復していること、相馬の漁師たちが3月11日に船を避難させるべく津波を乗り越えて沖に出たことなど、様々なことを教えていただきました。
生徒さんたちは漁船に乗れたことで、さらにここでも大はしゃぎ。撮影会もはじまりました。集合写真のシャッターは菊地さんが担当していました(笑)。
・生徒の集合写真のシャッターを切る漁師・菊地基文さん
約50分、船の上で沿岸部をご案内していただき、ご一行はホテルみなとやへ。ここで、模造紙にみなさんの手形を取りました。何でも、今回のツアーで出会った福島の人々の手形を取り、学園祭で展示するのだそうです。初日にお会いした鈴木係長や藤本さん、今朝仮設住宅でお会いした庄司さんや北原さんたちにも手形を取らせていただいていたので、模造紙は手でいっぱいに。学園祭の様子を写真で送ってくださるとのことでしたので、後日また記事を書きたいと思います(楽しみです!)。
・高橋一泰さんの漁船・幸喜丸
手形を取っている最中に、船を船着き場に戻していた高橋さんもロビーへ到着。漁で獲れたばかりのシラスを持ってきてくれました! シラスは足が早い魚ですので、新鮮なものが手に入れられるのは、海の町ならではです。ご一行は夕食にいただいたそうで、「とても美味しかったです」と山田先生。
余談ですが、相馬市では今年「そうま食べる通信」という新しいメディアが発足いたしました。これは、相双エリア(相馬~双葉間)の農家や漁師など、第一次産業に従事する生産者の特集雑誌と生産者の方々が育てた・獲った食べ物をセットにしてお届けするという定期購読型のサービスです。
この第1号に、今回船を出してくださった漁師・高橋一泰さんが特集されます。雑誌とともにお届けするのは相馬で水揚げされたシラスです。
このそうま食べる通信、編集部は異色そのものです。漁師、魚屋、仲卸し、土建屋、ギフトショップ、早期退職して相馬に移り住んだ関東人などなど、編集とは無縁の、でもこの地を愛する思いとエネルギーは溢れんばかりの方々が制作に勤しんでいます。
今回登場しました菊地基文さん、獺庭大輔さんも編集部の一員です(菊地さんは共同編集長!)。面白い情報が詰め込まれていく予定ですので、ぜひぜひ購読いただきけますと幸いです。
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・今回お会いした方々との手形と一緒にパチリ。模造紙を持っているのが船を出してくださった漁師・高橋一泰さんです。
さて、最終日は、南相馬市小高区の小高駅周辺へ。小高区は避難指示解除準備区域に指定され、住民の方々が帰還できるよう整備を行っている土地です。住民がいる相馬市とは異なる状況にあること、そして避難指示が出されている町の様子を、みなさんの目で見ていただきました。
その後、飯舘村経由で福島駅へ向かいました。飯舘村は、2日目に訪れた大野台第6応急仮設住宅に住む方々が育った土地です。除染作業の過程で出た放射性廃棄物が入った黒いフレコンバッグが山積みにされている様子を見て、みなさん口を閉ざしていたのが印象的でした。
小高駅より約2時間弱で福島駅へ到着です。岡山-福島間、そして福島-相馬間の移動があったため、3日間とはいえ、あっという間でした。それでも、約950㎞と離れた土地からは分からないことを見て、聞いて、そして食べて感じていただけたのではないかなあと思います。
山田先生は、今回のツアーを企画する際に、「今回行かなければ、一生福島に行けなくなるんじゃないか」という強い想いで周囲の方々の協力を仰いだといいます。それほど、熱い想いを持って来てくださったことに、改めて感謝いたします。生徒さんも、今回のツアーで知ったことを、周りの方々に伝えていきたいと言ってくれて、距離は離れていてもできることを考え実践していただけることは、ありがたいです。
今後も、文化祭の様子を送ってくださるとのことで、ぜひぜひ交流を続けていきたいと思います。文化祭の様子もご連絡をいただき次第アップいたします。
みなさん、はるばる起こしいただきありがとうございました!